いっぺんにやってくるかもしれない
育児休暇とならんで一緒に語られるのが、介護休業法です。厚生労働省が、「育児・介護休業法が施行されました」と文章を出しているからです。新聞でもよく見かけるお馴染みの話題で、こちらもなぜか一緒に語られます。自分から見て、その子ども、その親と、両方いっぺんに休暇(休業)が必要になった場合には、どうすればいいのでしょうか。まれなケースかもしれませんが、一緒に語られるということは、なにか因果関係が隠されていそうで、その可能性もなきにしもあらず。たとえば初婚年齢が上がって40歳以上とか。不妊治療を受けて高齢出産だとか。体外受精で生まれた子の親は50歳以上とか。今後、ありえない話ではないです。いっぺんにやってくるかもしれません。
子も親もだいじ+1 !
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- だから無理
- はっきり言って、育児だろうと介護だろうと、体力のある会社でないと休暇(休業)は絵に描いた餅です。これもお馴染みの話題で、有識者はみな口をそろえて論説するのだけれど、「あんたじゃなくて、うちの会社の社長がどう考えているかだよ」と、ツッコミ入れつつ朝食の納豆をぐりぐり引っ掻きましている方もいるでしょう。育児は奥さんに泣いてもらうにしても、介護はそう簡単に割り切れるものではなく、なんというか後ろめたいと
- 会社を辞めるしか選択肢がない
- 自分の良心にしたがって介護を引き受けるとすれば、現実的には難しいので会社を辞めるという選択肢しか残されていないのです。「社会の理解がなく〜」、などと言っても無駄というものです。「みんなそうだよ。同じだよ」と言われてしまえば、退社することがまるで自分の良心の表明と同義になります。そこまでに至るには、なんども、なんども、自問が繰り返され、自分と親と、その存在を行き来して、どのような選択が正しいのかと、
- いまできることは介護の意味を据え換えること
- だれかなんとかして欲しいと言っても現実的には仕方がないです。社会は、仮想・巨大ローカル列車のように、各駅にしか止まれないし、急なカーブも曲がれないのです。即座に現実に対応できるほど器用に動きまわれない。いまできることは、「介護」の意味を据え換えて、別物にしてしまうことぐらいです。自分の価値観などを転換し、現実に即して自分の姿を変えることです。たとえば会社を辞めた場合、「いいキッカケになった」、と見